嫁が島物語(5)
昼飯がすむと千恵は台所に戻った。釜焚きと子守りが待っちょった。さすがに大おばあさんのところから戻ると気が楽で、のびのびとした。釜の前では大おばあさんに教わったことを、一つ一つ思い出しては反芻してみちょったげな。そんな暮らしが何日か続くと、覚えの悪い千恵の手に、大おばあさんの物差しで叩かれた、紫色の痣跡が目立って来たが、それよりもっと恐ろしいことが千恵の回りを真綿のように包み始めた。ついこの間まで「つべさん」「つべさん」てって、慰めてくれたり、お菓子をくれたりした人たちが誰んだい声をかけてくれんやになって、かまどの側には、誰んだい寄り付かんようになってしまった。誰かになんぞ聞かかとそばに行くと、いつの間にかスーッと逃げていくような気がしてならない。それでいて目が合うと、今まで見た事のない愛想笑いが返ってきて、千恵をどぎまぎさせるのだった。幼い千恵には女中たちの心理を読み取ることはできなかった。遠からずあの優しい若旦那のお嫁になる女、夢のような玉の輿に乗る女。それが千恵と決まった時から、仲間の女中たちから村八分になっていることを千恵はしるよしもなかった。嫉妬、羨望わけのわからぬ恐ろしい冷たい視線の中に、千恵は落ち込んでしまった。そして、千恵はもうここにはおれないことを悟った。
千恵は「どうにもならんときは、戻って来い」と言ったおとっつぁんの言葉を思い出していた。だが「お前のお陰であんきに暮らせる」と喜んでいた父や家族のことを思うと、もうどうしていいのか分からず、誰に相談するあてもなく、里のお婆の弁天様に、ただただ手を合わせるしかなかった。そのお婆も、千恵が奉公に出ると間もなく亡くなっていたが、千恵には行き来が大変だからと知らせていなかった。
正月も松の内が過ぎると、大おばあさんの躾も一段と細やかになって、物差しの飛んで来る回数もよけいになったが、千恵は本当に真剣にひとつひとつ頭の中へたたき込むように覚えていった。そんな頃、千恵は大番頭さんから「大おばあさんがな、千恵はなかなか頭のええ子だとまっしゃいてって、褒めてござったぞ。もうちょんぼだけん頑張れや」と初めて励ましの声をかけられて、思わず涙を流した。