嫁が島物語(2)


 釜焚きの仕事は大奥の顔を洗う湯や水、食事の前の手洗い水を沸かしたり、他国から着いたばかりの商人の足の洗い水を出したりすることだった。回船問屋は大きな店だけん出入りも多く忙しかったが、そのうえに、奥の一番末っ子が泣き出すと、千恵はおかっつぁんに呼ばれて、泣く子の子守をさせられるのだった。そうすると、みんなが同情して「ちいこがんばれ」「ちいこがんばれや」てって励ましてくれたが、千恵はニコニコ笑って、つらそうな顔一つ見せだったげな。
 千恵は子守が大好きだった。田舎でいつも末の弟のお守りもしたし、水汲みもした。坊ちゃんは綿のいっぱい入ったねんねこを着ていて千恵より大きいけん、重たいように思うけど、弟よりずっと軽いし楽だった。子守をすると火焚きをかわってもらって外へ出ることもできた。千恵はお婆に真似て子守唄を歌うのが好きだった。お婆の唄はいつも同じ節で、

 ねんねん眠る子は おころりよ
 里のみやげに 何もろた
 でんでん太鼓にショウの笛
 鳴るか 鳴らぬか 吹いてみや
 ねんねん寝る子は 良い子だよ
 坊ちゃんは良い子だ ねんねしな

 千恵はまるで村にいるような気がして、ついつい涙がこぼれたもんだげな。
 年の瀬が近づくと大店はお正月のしきたりや手順があって、番頭さんから下の女中までおおはいごんだったが、千恵は今までとかわらんやに釜焚き子守の毎日だった。この頃になると、暇な子守女中は町の空き地に集まって、自分の店のこきおろしをやり始めるもんだけん、とても賑やかだった。そして、女中たちの話題はいつの間にか店のこきおろしから回船問屋の若旦那の噂になっていった。男前で優しくて親切で、女中にも挨拶してくれると評判だった。千恵もうれしかった。だが、いろんなところから嫁の話がいくら来てもみんな断ってしまうげで、もう誰ぞ心に決めた女がいるらしい、などと聞いた話を得意気に喋る女中もおった。千恵は若旦那が昼の手洗いのとき、懐紙に包んだお菓子を懐にそっと入れてくれるのをふと思い出していた。
 正月を迎えても千恵たち女中には何のかわりもなくお店は開かれ、年始のお客がひっきりなしに出入りして、かえって忙しかったが、千恵には何のかわりもなさそうだった。


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標準語訳

 釜焚きの仕事は大奥の顔を洗う湯や水、食事の前の手洗い水を沸かしたり、他国から着いたばかりの商人の足の洗い水を出したりすることだった。回船問屋は大きな店だから出入りも多く忙しかったが、そのうえに、奥の一番末っ子が泣き出すと、千恵はおかっつぁんに呼ばれて、泣く子の子守をさせられるのだった。そうすると、みんなが同情して「ちいこがんばれ」「ちいこがんばれや」と言って励ましてくれたが、千恵はニコニコ笑って、つらそうな顔一つ見せなかったそうだ。
 千恵は子守が大好きだった。田舎でいつも末の弟のお守りもしたし、水汲みもした。坊ちゃんは綿のいっぱい入ったねんねこを着ていて千恵より大きいから、重たいように思うけど、弟よりずっと軽いし楽だった。子守をすると火焚きをかわってもらって外へ出ることもできた。千恵はお婆に真似て子守唄を歌うのが好きだった。お婆の唄はいつも同じ節で、

 ねんねん眠る子は おころりよ
 里のみやげに 何もろた
 でんでん太鼓にショウの笛
 鳴るか 鳴らぬか 吹いてみや
 ねんねん寝る子は 良い子だよ
 坊ちゃんは良い子だ ねんねしな

 千恵はまるで村にいるような気がして、ついつい涙がこぼれたものだったそうだ。
 年の瀬が近づくと大店はお正月のしきたりや手順があって、番頭さんから下の女中までたいへんあわただしいことだったが、千恵は今までとかわらぬような釜焚き子守の毎日だった。この頃になると、暇な子守女中は町の空き地に集まって、自分の店のこきおろしをやり始めるものだから、とても賑やかだった。そして、女中たちの話題はいつの間にか店のこきおろしから回船問屋の若旦那の噂になっていった。男前で優しくて親切で、女中にも挨拶してくれると評判だった。千恵もうれしかった。だが、いろんなところから嫁の話がいくら来てもみんな断ってしまうそうで、もう誰か心に決めた女がいるらしい、などと聞いた話を得意気に喋る女中もおった。千恵は若旦那が昼の手洗いのとき、懐紙に包んだお菓子を懐にそっと入れてくれるのをふと思い出していた。
 正月を迎えても千恵たち女中には何のかわりもなくお店は開かれ、年始のお客がひっきりなしに出入りして、かえって忙しかったが、千恵には何のかわりもなさそうだった。