嫁が島物語(1)


 とんとんむかし、奥出雲の山の中に、ほんに貧乏で子沢山な百姓さんがおったげな。働き者の夫婦だったが、三年越しの不作にたたられてどげにもこげにもならんやになってしまった。そおでこの冬はなんとか口減らしにお婆に姥捨て山へにでもえきてもらわにゃいけんだが、てって夫婦でひそひそ相談しちょったら、一番上の娘の千恵が障子の外で聞いちょって、がらっと障子を開けて入ってきた。「お父っつぁん、お婆を山に捨てちゃあいけん。わしをあげに可哀がってごいたのに、お婆を捨てるくらいなら、わしがどこへでも奉公にいくけん」とおかかに取りすがって泣き出した。おかかは「そりゃいけん、お前はまだ一二だないか。お前にゃ奉公はまださせられん」と言ったが、千恵が「お婆を捨てちゃあいけん、お婆を捨てちゃあいけん」といって泣くもんだけん、ように困ってしまった。おとうだてて、お婆を捨てたはないだけん、ちょうどその頃、松江からおおだな(大店)の番頭さんが毎年人集めにくるもんだけん、おとうはこの娘の手を引いて相談にえきてみたら、「なかなか良い娘だけん、年季を二年ほど長にしてやるけん」てって言われていい具合に奉公することが出来た。
 千恵が松江に発つ前の晩、今度はお婆が泣き出した。「こげな年端もいかん子に、そげな苦労させるくらいなら、今すぐにでもわしが山に入るけん」てって嘆き悲しむ婆さんに、千恵はにっこり笑って言った。「婆っちゃ心配せんでいいけん、わし婆っちゃに頼みがあるが、聞いてごすね」「ああ聞いてやるとも。何でも聞いてやるけに言ってみれ」「わしなぁ、婆っちゃが大事にしちょる弁天様の像をもらいてぇ。朝に晩に婆っちゃやみんなが達者なようにてって、毎日拝むけに」「ああええとも。こりゃ死んだおじじの形見じゃけん、必ずお前を守ってごしなさるけんな」
 明けの朝はようから番頭さんに連れられて、十人ばかりの村の者たちは、みの、かさ、わらぐつに身を固め、背中一杯の大きな荷物を負うて、一団となって粉雪の舞う杉の林の峠道を粛々と松江に向かって下っていった。二日も歩いて杉林を抜けると、娘たちはびっくりするほど広い青い湖に出た。これが話に聞いていた宍道湖だった。そこから先はやまがの者たちには見たことのない晴れやかな風景ばかりだった。松江の町に入ってからは、ため息が出るほど美しく着飾った人でいっぱいだった。田舎娘たちの奉公先は、町の大きな回船問屋だった。裏に回ると出入り口があって、台所の板の間の奥に旦さんやおかっつぁん(大奥様)や若旦さんが並んで顔見せしてから、明日からの仕事を番頭さんから言いつけられた。だが、一番ちびの千恵には番頭さんも困って言った。「やっぱりちびさんは当分ここで子守と釜焚きでもしとうなはい。誰んもの足手まといかもしれんが、まあかわいがって仲よにやってござっしゃい」てって古い女中さんに頼んだ。古い女中さんが寄ってきて言った。「お前年なんぼ」「一二」「名前は」「千恵」「あのな、目上の人に聞かれたら一二でございます。千恵でございます、てって丁寧に言わな叱られるけんな。ここのおかっつぁんはおぞいけん」「へぇー」「へーだない、はーいだよ」「へぇー」「ちべさんはこの釜でいつも湯を沸かいてごしなさい」「へー」。


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標準語訳

 うんとむかし、奥出雲の山の中に、本当に貧乏で子沢山な百姓さんがいたそうだ。働き者の夫婦だったが、三年越しの不作にたたられてどうにもこうにもならなくなってしまった。それでこの冬はなんとか口減らしにお婆に姥捨て山へにでも行ってもらわないといけないが、といって夫婦でひそひそ相談していたら、一番上の娘の千恵が障子の外で聞いていて、がらっと障子を開けて入ってきた。「お父っつぁん、お婆を山に捨てちゃあいけない。わしをあんなに可哀がってくれたのに、お婆を捨てるくらいなら、わしがどこへでも奉公にいくから」とおかかに取りすがって泣き出した。おかかは「そりゃいけない、お前はまだ一二ではないか。お前にゃ奉公はまださせられない」と言ったが、千恵が「お婆を捨てちゃあいけない、お婆を捨てちゃあいけない」といって泣くもんだから、完全に困ってしまった。おとうだって、お婆を捨てたくはないから、ちょうどその頃、松江からおおだな(大店)の番頭さんが毎年人集めにくるもんだから、おとうはこの娘の手を引いて相談に行ってみたら、「なかなか良い娘だから、年季を二年ほど長くしてやるからといって言われていい具合に奉公することが出来た。
 千恵が松江に発つ前の晩、今度はお婆が泣き出した。「こげな年端もいかん子に、そんな苦労させるくらいなら、今すぐにでもわしが山に入るから」といって嘆き悲しむ婆さんに、千恵はにっこり笑って言った。「婆っちゃ心配せんでいいから、わし婆っちゃに頼みがあるが、聞いてくれるかな」「ああ聞いてやるとも。何でも聞いてやるから言ってみなさい」「わしなぁ、婆っちゃが大事にしている弁天様の像をもらいたい。朝に晩に婆っちゃやみんなが達者なようにと言って、毎日拝むから」「ああええとも。こりゃ死んだおじじの形見だから、必ずお前を守って下さるからな」
 明けの朝はようから番頭さんに連れられて、十人ばかりの村の者たちは、みの、かさ、わらぐつに身を固め、背中一杯の大きな荷物を負うて、一団となって粉雪の舞う杉の林の峠道を粛々と松江に向かって下っていった。二日も歩いて杉林を抜けると、娘たちはびっくりするほど広い青い湖に出た。これが話に聞いていた宍道湖だった。そこから先はやまがの者たちには見たことのない晴れやかな風景ばかりだった。松江の町に入ってからは、ため息が出るほど美しく着飾った人でいっぱいだった。田舎娘たちの奉公先は、町の大きな回船問屋だった。裏に回ると出入り口があって、台所の板の間の奥に旦さんやおかっつぁん(大奥様)や若旦さんが並んで顔見せしてから、明日からの仕事を番頭さんから言いつけられた。だが、一番ちびの千恵には番頭さんも困って言った。「やっぱりちびさんは当分ここで子守と釜焚きでもしていなさい。皆の足手まといかもしれぬが、まあかわいがって仲よにやってください」と言って古い女中さんに頼んだ。古い女中さんが寄ってきて言った。「お前年いくつ」「一二」「名前は」「千恵」「あのな、目上の人に聞かれたら一二でございます。千恵でございます、てって丁寧に言わないと叱られるからな。ここのおかっつぁんは怖いから」「へぇー」「へーではない、はーいだよ」「へぇー」「ちべさんはこの釜でいつも湯を沸かして下さい」「へー」。